2021年5月11日
浅野川 大橋散歩
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浅野川大橋付近を徘徊してみると、以前は混雑していたこの付近も、観光客の姿も希で、これまでは雑踏に紛れていた道端の「小さな金澤」が目に付くようになりました。
いつ埋め込まれたのか、浅野川大橋上の歩道の敷石に「眺望点」と書かれた方位盤が在ることに気づきました。
踵を中心に体を回転させると願いが叶うというミラノの「エマヌエーレ2世のガレリアの雄牛のレリーフ」のことが妄想として浮かんで来ました。
この方位盤の大きさでは無理でしょうが、観光客が金沢再訪を願ってくるりと回る。橋の上の歩道の幅では危険が伴うので、市の計らいで歩道に柵を設けたり、車道の一部を柵で仕切ったりする。などと、ご隠居の妄想は広がるばかりです。
香林坊交差点の地下にも「回転」の名所になりかねないスポットがあったことを思い出しました。
https://shio-g.com/kanazawa-photos-8/
大橋を渡ると、遥かむかしにお世話になった遊技場と有名なお肉屋さんの跡地は小公園になっていました。碑文に埋められた古い写真は、今の風景に重なりながら、郷愁を誘ってきます。
明治6年(1873年)にアメリカ人ウィリアム・グリフィス氏が残した写真に写っている「火の見櫓」が復元されていました。
写真の家々と比較すると昔の櫓は相当大きなものだったように感じられました。グリフィス氏の筆跡「From the street Kuangon.」は観音通りからという意味でしょうか。当時の人達が観音を「くぁんごん」と発音していたのだろうと思われます。40年ほど以前には、学校を鼻濁音ではない「ぐぁっこう」と発音していた人も多かったような記憶が呼び覚まされます。しかし、もうそんな人は身近には一人としていなくなっています。
形ある物と、音声のように形のない物、時間を軸として流転しつつ、やがて透明化していく世界。数日前の徘徊散歩をPCを前に、そこはかとなく書きつくると、あやしうこそ物狂ほしけれ。兼好法師は徒然草の第一段を、そぼ降る梅雨に書いたに違いないような気がします。過去の散歩をイメージすると、以前は「無常観」というやや後ろ向きな言葉で呼ばれていた世界観を、ご隠居ならではのさわやかな世界観として体験できたような気がしました。
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shio-g | 88 |
jsnadmin | 7 |
普段車でなにげなく通っている道もゆっくり歩いてみると新たな発見があります。これが金澤散歩の醍醐味ですね。ヤマボウシの白い花弁が美しいです。