金澤聖点散歩 回想編


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卯辰山の望湖台から内灘砂丘方面を遠望し、付近に住みつかれているお猫様にご挨拶をしてから、下りにかかりました。
鬱蒼とした木々の道をぬけて、卯辰山工芸工房前の急な坂道を下ることにしました。

ここから、観光客が戻ってきた「ひがし茶屋街」方面へ下山するには、鶯町の谷筋を下りることになります。

東山の茶屋街を訪れても、ここ鶯町までやって来る観光客はほとんどいないのでしょうが、この辺りには、本当の金沢の歴史と霊性が横溢、跋扈する聖なる異空間が広がっているような、不可思議な空気感が漂っているように感じます。

松尾神社は、酒造商業の守護神松尾明神(大山祇命)と災害厄除けの祇園明神(素戔嗚尊)の二柱を主祭神としてお祀りし、加えて学問の神様、天神様(菅原道真)を祀っています。
織田信長が安土城内に祭祀した松尾明神を加賀藩初代の前田利家が譲り受け、金沢城内に遷座。後に、片町の酒造業宮竹屋が東乃祇園に祀ることを五代綱紀に陳情し、酒商造業の守護神として建立したとされています。


主道を避けて、自然が残る脇道を通り、裏門から宇多須神社へ入ります。
養老2年に創建されたといわれる宇多須神社の淵源は、浅野川の川辺の丘から掘り出された古鏡の裏面に、卯と辰の紋様があったことから卯辰神として祀られたとのこと。後に慶長4年、加賀藩初代前田利家の没後、二代利長が今の高岡市で守護神としていた物部八幡宮と今の氷見市の榊葉神明宮の神霊を遷座して、卯辰八幡宮として建立し、利家の神霊を併せて祀って藩社としました。その後、明治6年に尾山神社を建立して利家の神霊を遷座し、卯辰八幡宮は明治24年に卯辰山の古名、宇多須山から宇多須神社と改称された旨、立て札の説明には記されていました。
境内には、「利常公酒湯(ささゆ)の井戸」があり、彌都波能賣神(みずはのめのかみ)のご神水と説明がありました。五代綱紀が疱瘡に罹ったとき、このご神水を沸かしてお酒を入れ、疱瘡の平癒のための「酒湯」として沐浴したとされています。

宇多須神社の床下には、忍びの者と黒猫が目を光らせていました。
浅野川の川辺に腰を下ろし、今日の散歩の高低差や心拍数を振り返ると、金沢不思議散歩も終盤です。

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shio-g
  • shio-g

3件のコメント

  • 東山の奥にこのような歴史のある場所があったとは!街歩きは新たな発見が面白いですね。

  • 卯辰山の知らない景色を楽しみました。

  • 数週間ぶりにワードプレスの編集ページにログインできるようになりました。サーバー管理会社の担当者のお陰だと思います。本当に助かりました。このままではサーバーを変更せざると得ないと考えていましたが、何とか復帰できて良かったです。つまらないことで色々と頭を悩ませることが多い中で、一つでも解決されることがあると、気持ちが一気に明るくなりました。

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