金澤散歩 柿木町界隈


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今日は、城下町の東、柿木町界隈を歩きました。旧市街にありながら観光客の姿はなく、商店も疎らで静かで落ち着きのある住宅地が広がっていました。
旧柿木町(かきのきまち)は、藩政期に柿の木が多く植えられたため、付けられた町名だそうです。金沢には「柿木畠」(かきのきばたけ)という地名もあり、柿の木が多く植えられていたことをうかがわせます。
では、なぜ柿の木を栽培したのかといえば、もちろん実を食べるためだと思っていました。しかし、路傍に設置された町名表示の石碑を見ると、思いもよらない面白い由来が書かれていました。
飛鳥時代の歌人で、山部赤人とともに歌聖と呼ばれた「柿本人麻呂」に関係があったようです。「人麻呂」は「人丸」とも表記されるので、ひとまろ→ひとまる→「火止まる」という連想から、防火の神様となったという背景があったようです。
碑文には「加賀藩3代藩主前田利常のとき火除地として城下の各地に柿木畠が設けられた 柿本人麻呂をもじり 柿の木の本では火が止まるに因んだといわれる この地にも植えられたが後に町立てされこの名がついた」とありました。
木造建築が密集する金沢の城下町に、火除地を設けるのは当然として、この付近にはかつて「火除町」という町名もありました。
「火除地→火を止とめる→火止まる→人丸→柿本人丸→柿を植える」という「風が吹けば桶屋が儲かる」式な言葉遊びの、古典的で少し粋でお洒落な発想がとても新鮮に感じます。
現代的に、柿の木を成分分析してみると、防火や鎮火の働きがある成分が発見さたりなどと、妄想も広がって散歩人を楽しませてくれます。

柿木町から少し歩くと、天正8年(1580)にこの地に創設されたという「西光寺」があります。このお寺は利常の時代以前に創建されたのですから、付近には柿の木も植えられておらず、草地や田畑が広がっていたのでしょうか。

西光寺のすぐ脇に、町中で本当の温泉が湧く公衆浴場「兼六温泉」があります。星空が見えて、雪の降る日でもゆったりと長湯ができる天然温泉の露天風呂は、住宅地の異空間として独特の魅力が感じられます。「兼六温泉」は、かつて「あやめ湯」という名前だったように記憶しています。通称で「田んぼの湯」とも呼ばれて親しまれていた当時が懐かしく偲ばれます。半世紀以上前、この辺りは田んぼや畠が多く、用水には蛍が舞っていました。

昭和レトロの建物を見ながら東に向かって歩を進めると、田井町方面から小立野へ上る「天神高架橋」が見えてきます。高架橋脇では古びた不動明王石像に出会いました。



高架橋の「小立野トンネル」に併設された階段を上り詰めると、

外から見える大学の現代的なホールには、レプリカと思われるミケランジェロの大きな「モーゼ像」とそれを見つめるオブジェなどが設置されていました。

金沢は普通の街並みを歩いていても、歴史都市「金沢」の町の深層に流れる悠久の時間の奥深さを感じないわけにはいきません。

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shio-g
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1件のコメント

  • 町名には古の人々の思いが込められているのですね。いつの時代も安らかな暮らしを願う気持ちは同じです。歴史を感じる街並みですね。紫の蘭や露草が雨の季節を予感させます

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